Category  |  他人を赦す

赦すべきか

教会堂の掃除に行くと向こうで泣いている人がいました。私に意地悪をしたことのある人です。それで、気づかない振りをして掃除機をかけました。嫌われているのに声をかける必要は無いでしょう。しかし自分がどれだけ神に赦されたのかを思い出し、聖霊に促されてそばに行くと、彼女の赤ちゃんが何か月も入院していると言うのです。私たちは抱き合って泣き、赤ちゃんのために祈りました。そして今では性格の違いを乗り越えて仲良くなりました。

なぜ赦すか

友人に裏切られたとき、彼女を赦すべきだと分かっていても、できるだろうかと思いました。鋭い言葉が心に突き刺さり、怒りと痛みで心が震えました。話し合いの後、私は赦すと言いましたが、その自信はありませんでした。彼女を見るたびに古傷がうずき、長い間、まだ恨んでいるのだと分かりました。しかし、ついに祈りは応えられ、きれいさっぱりと忘れることができました。やっと解放されたのです。

心を変える

アメリカの南北戦争が終結した日、敗戦した南軍の兵士たちは、両側に北軍の指揮官チェンバレンの部下たちが整列している道を行進しました。ここで何かあれば、待ち焦がれた平和は大量殺人に変わってしまうかもしれません。そんな中、指揮官は、敵軍の兵士たちに向かって敬礼するよう部下たちに命じました。それは、見事で感動的な決断でした。侮辱や悪意の言葉はありません。あるのは、敬意を表す銃と栄誉のために掲げられた刀剣だけでした。